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東京地方裁判所 平成2年(刑わ)225号 判決 1991年3月20日

主文

被告人は無罪。

理由

一  本件公訴事実は、次のとおりである。

被告人は、

第一  酒気を帯び、アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、平成二年二月六日午前二時三〇分ころ、東京都荒川区荒川二丁目四番二号先道路において、普通乗用自動車を運転し

第二  前記日時ころ、業務として前記車両を運転し、前記場所の信号機により交通整理の行われている交差点を三ノ輪方面から町屋方面に向かい右折するにあたり、あらかじめ右折の合図をするとともに、対向車両の有無及びその安全を確認すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、酒の酔いの影響により合図をせず、かつ、対向車両の有無及びその安全も全く確認しないまま時速約一五キロメートルで右折進行した過失により、折から王子方面から対向してきたE(当時三三年)運転の普通乗用自動車に気付かず、自車左側部を同車前部に衝突させ、よって、同人に加療約二週間を要する頭頸部挫傷等の傷害を負わせ

たものである。

二  弁護人は、被告人は、本件事故当時、公訴事実記載の普通乗用自動車(以下「本件車両」という。)の助手席に座っていたのであり、本件車両を運転していたのは、Sであって、被告人は、Sの身代わりとして訴追されているものであるから無罪である旨主張し、被告人も公判廷においてこれに沿う供述をしている。

三  関係各証拠によれば、本件事故に至る経緯及び被告人が検挙・起訴され、公判廷において否認するに至った経緯については、次のとおりであることが認められる。

被告人は、前夜来友人のSとともに自宅やスナックで飲酒し、平成二年二月六日午前一時ころスナックを出て、どちらが運転席に座ったかはともかく、Sが運転してきていた本件車両に乗車し、同車両内で酔いを覚ますため三〇分程休んだ後、どちらかが本件車両を発進させ、S宅に向かった。本件事故現場に差し掛かった際、E運転の普通乗用自動車(タクシー)(以下「被害車両」と言う。)が時速六〇ないし七〇キロメートルで王子方面から対向して来た。Eは、本件車両が右折車線を走っていたが、右折の合図をしていなかったため、止まってくれるものと思い、パッシングをしながらそのまま進行したところ、本件車両が、右折し始めたため、急ブレーキをかけたが、間にあわず、本件車両左側部に被害車両前部が突っ込む形での衝突事故となった。事故直後本件車両は再発進し、王子方面に約一〇〇メートル走り、同区荒川三丁目五一番三号前路上の左端に停車した。一方、Eは、被害車両から降り、右停車中の本件車両のところに行ったところ、グリーンのジャンバーを着ていたSが本件車両の運転席に、茶色の革ジャンバーを着ていた被告人が助手席に座っていた。Eは、一時本件車両を離れて一一〇番通報をし、かけつけた警察官Uとともに再び本件車両のところに戻った。それからEとS及び被告人との間で多少のやりとりがあった後、被告人は、E及び右警察官に対し、自分が運転していたことを認めた。間もなく、その場で被告人は、業務上過失傷害、道路交通法違反容疑で現行犯逮捕され、引き続き勾留されたまま本件公訴事実により平成二年二月一六日起訴された。被告人は、当初から一貫して捜査官に対し自分が運転していた旨自白し、起訴後の取り調べにおいても自白を維持していたが、第一回公判期日(同年四月三日)において、本件車両を運転していたのはSであるとして本件各公訴事実を否認した。その間、Sは、同年三月一九日、被告人の弁護人Iとともに検察庁に出頭し、検察官に対し、事故当時、本件車両を運転していたのは自分である旨申告した。

四 そこで、まず、事故の被害者であるタクシーの運転手Eの証言を検討するに、同人は、衝突の時、運転していた者を見ていないが、助手席に座っていた人を見た、その人は在廷中の被告人ではなく、入廷して対面したSである旨供述している。

しかしながら、右同一性識別には、次のような疑問点が存する。すなわち、まず、Eは、衝突直前に助手席に座っていた人の顔を見たと供述するが、被告人とSの異同については何となく雰囲気が違うというものであり、Sの容貌についても、髪の毛が若干短かったような気がすると供述する程度で顕著な特徴を述べるに至っていない。しかも、Sの証言等によれば、Sは、衝突時には眼鏡を掛けていたと認定できるところ、Eは、衝突の瞬間、Eの方をにらむようにしたSが眼鏡を掛けていたのを確認していないという。また、前記のとおり、衝突時には運転していた者を見ていないと供述し、かつ、乗車していた両名の服装の色などについては本件車両を追いかけていって声を掛けたときに気付いたと供述しているのに対し、Eの司法警察員に対する供述調書中には、「私は事故当時運転していたのは、茶色ジャンバーの男の人、つまりAさんであることをはっきりと見て覚えておりましたからAさんに『車を運転していたのはあなたでしょう。』と聞くと、Aさんは『あっそうだ、悪かった。』とうなづきました。」という記載があり、供述の変遷ないしそごが見られる。さらに、Eの証言をみると、断片的には、例えば、同人は、最初に本件車両にかけつけた際、運転席に座っていたSに対し、「運転していたのはあなたじゃないだろう。」と言った記憶がある旨、あるいは、自信を持ってはっきり助手席に座っていた者はSであると識別できる旨の供述が存するものの、他方、Eは、被告人が自分が運転していたと認めたことも、被告人が運転していたと思った理由の一つであるかのような供述や最初に本件車両のところに行った時は、運転席に座っていたSに「何で逃げたんだ。」と言ってすぐに一一〇番通報をしに行った旨の証言もしている。結局、右の点に関するEの証言は、質問者、質問の方法の変化につれて、たやすく変遷しているとみるほかなく、信を措き難い。さらに、一般的に考えても、被害車両が、夜間、六〇ないし七〇キロメートルの速度で走行中、急ブレーキを掛けたが間にあわずに本件車両に衝突したという事故の態様からみて、Eが、衝突の瞬間に、助手席にいた人間の顔を瞬時に識別することは相当に困難な状況であったことも考慮する必要がある。

五 そこで次に、被告人の捜査段階における自白について検討する。

まず、仮に、被告人が本件車両を運転していたのであれば、Eが、事故現場から約一〇〇メートル先の本件車両のところに最初に駆けつけるまでに、何らかの事情で、被告人はSと席を交替していたことになるが、この点について、被告人は、司法警察員に対する平成二年二月六日付け供述調書において、二人とも車から出て、再び私が助手席に、Sが運転席に乗った、私は怖くなって助手席に乗った旨供述する一方、同調書で、再び車に乗り込んだのは、逃げようと思ったと思う旨も供述している。また、司法警察員に対する同月一七日付け供述調書では、停止したのは、車の破損状況やSの怪我が気になって停止したので、そのとき丁度お巡りさんや関係者の相手が来た旨供述し、一度降りて再び乗ったことには触れられていない。起訴後の検察官に対する同月二一日付けの供述調書では、車の壊れている状態を見ようと思い、運転席から降りた、Sも降りた、車の助手席に乗ったのは、車の内側から助手席ドアの壊れ方を見るためである旨供述するなど、その供述自体変遷している。その上、当裁判所の検証調書及び司法警察員作成の写真撮影報告書(写真八葉添付のもの)によれば、本件車両は、事故によって、助手席側ドア及びセンターピラー部分が内に向かって数一〇センチメートルもへこみ、助手席ドアは本件当時開かなくなっていたこと、また助手席はセンターコンソール部分までずれ、その背もたれの部分は運転席の背もたれに接触し、全体として逆くの字型に曲がっていることが認められ、したがって、本件車両の運転席に座った被告人が、一度降車した後、運転席側ドアから再び乗車してセンターコンソール部分を越え、助手席に座るにはかなりの困難が伴うと認められるところ、そのことについては全く供述されていない。

次に、スナックを出た後、被告人がS所有の本件車両を運転することになった経緯について、被告人は、司法警察員に対する平成二年二月六日付けの供述調書では、「Sさんの家に帰るについては私が運転したのですが、私が運転しようかということであったと思います。このとき、すでに私達二人は、かなり酔っていました。運転するについても、その会話も判らないほどですので、記憶にないことは、よほど酔っていたのです。」という曖昧な供述しかしていないが、その後、司法警察員に対する同月一一日付け及び検察官に対する同月一五日付け各供述調書では、Sが自分より酔っているようだったので、自分が運転して帰ることにし、運転席に座り、Sが助手席に座った旨の供述をしている。しかしながら、Eは、公判廷においてどちらかと言えば、Sの方がしっかりしていた旨供述しており、またE及びUの各証言によって認められる事故後の被告人及びSの言動によっても、むしろ被告人の方が酔っていたのではないかと思われる節も存し、この点についても被告人の捜査段階の供述には不自然さがある。

さらに、何よりも不自然なのは、運転コースについてである。Sの司法警察員に対する平成二年二月一一日付け供述調書及びそれに添付の同月一〇日作成の「運転コース略図」によれば、千束小学校付近の駐車していた場所から本件事故現場までの経路が明確に図示されている。これに対し、被告人の司法警察員に対する同月一一日付け供述調書によれば、「昨日コースについて係員を自動車で案内したのですが、私が運転したマークⅡの駐車していたところは判りましたが、コースはどて通りから明治通りについては判りましたが、千束小学校から浅草四丁目の中の路地は判りませんでした。」となっている。自らが運転したのに拘らず、その経路を思い出せない理由については何ら供述されていない。

また、検察官に対する平成二年二月一五日付け供述調書では、衝突のショックで左側頭部や左肩などをフロントガラスなどに打ちつけた旨供述しているが、起訴後の検察官に対する同月二一日付けの供述調書では、私の体はつんのめり、左肩と左胸をハンドルあたりにドンと打ちつけた旨供述し、この点においても供述に変遷が見られる。

以上の諸点の供述の変遷あるいはそこに見られる不自然さなどを考慮すれば、被告人の捜査段階の供述は、直ちに信用することはできない。

六  次に、本件事故状況及び本件車両の破損状況と被告人及びSの各負傷状況について検討する。

本件事故の状況及び本件車両の破損状況についてはこれまでに述べたとおりである。また、関係証拠によれば、被告人は、本件事故により、頸部捻挫、左前胸部打撲症を負い、一方、Sは、左膝下部を負傷していることが認められる。この点、検察官は、被告人の負傷は、ハンドルにぶつけたもの、Sの負傷は、Sが助手席に座っていて助手席ドアの凹損部にぶつけたものと説明することも充分可能である旨主張し、なるほど、そのような説明も一応可能ではある。しかしながら、事故状況及び車の破損状況を素直に見れば、助手席に座っていた者は、衝突によってかなりの衝撃を受け、その結果、運転席に座っていた者よりも重い傷害を受け、特に、体の左側部分を負傷していることが自然であると思われる。Sは、左膝下部分には局部的な切傷が認められるものの、その外は同人が右肩部分に打ち身があった旨公判廷において証言するのみである。他方、被告人は前記負傷を負ったものであるところ、その主訴は、頭を動かすと左頸部が痛むこと、深呼吸をすると左胸部(左肋骨弓部)が痛むことであった。以上の両者の負傷状況を対比すると、むしろ被告人が助手席に座っていたと見る方が自然であるとも言える。

七  次に、本件車両は本件当時、Sが運転していたものであり、その際、被告人は助手席に座っていた旨のSの証言及び被告人の公判廷における供述につき検討する。

まず、被告人は、自分が、身代わりとなった経緯について、事故当時助手席に座っていたが、事故直後、Sは「まずいよ。やっちゃったよ。ちょっと向こうへ行こう。」と言って、本件車両を再発進させ、一〇〇メートル位走ったところで停車させた、そこで、「まずいよ。後のことはちゃんとするから代わってくれ。」と言われ、しばらく考えたが、Sとは家族ぐるみで付き合っているし、子供達もよく食事に連れて行ったりしているので、子供達がかわいそうに思って、「じゃあ、いいよ。」と答えた、罰金とか、裁判のこととか考えなかった、その後、警察官が来て、どっちが運転していたのかを聞かれて、自分が運転していたことを認めた旨供述し(第三回及び第六回各公判調書中の被告人の供述部分)、一方、Sは、本件当時、本件車両を運転していたのは自分であることは明確に認めるものの、身代わりの経緯については、「『まずいことをしてしまったな。』という会話があって、それから被告人が『じゃあ俺が運転してたということで。』と、詳しいことは覚えていません。私がドライバーの仕事をしているものですから、被告人は察してくれたのでしょう。」と供述している(第二回公判調書中の証人Sの供述部分)。以上のように、Sの証言は、被告人の供述するところと完全に合致しておらず、また、全般的に見ても、真実を包み隠さず供述しようとの真し性にも欠けるきらいはあるが、ことがこじれた今日にまで至ったことや今後自分が受けることになる処分のことなどを考えて、Sの身代わりの経緯に関する供述が曖昧になるのも無理からぬものがあるとも解される。したがって、右程度の供述の違いをもって、被告人及びSの各公判廷供述を直ちに信用できないとすることは相当でない。

また、被告人がSの身代わりになったとして、被告人も水産会社のトラックの運転手であり、また昭和五一年に無免許運転により懲役四月、保護観察付執行猶予三年の判決を受けたことがある外、交通関係の罰金前科や、行政処分を受けたこともあるにもかかわらず、なぜSの身代わりを引き受けたのかの疑問はある。しかしながら、Sは、平成元年五月に酒気帯び運転で罰金刑を受けていること、同人はトラックを自分で購入し、仕事を貰うような形でトラック運転手をしていること、Sの妻及び子供二人の家族は、ほとんど同人の収入で生活していること、Sの妻は、Sが妻子を顧みずに、気楽な生活を送っているように見える被告人と飲みに出掛けたりして遊び歩くことを常々快よく思っていなかったことなどの事情が認められる。右事情に照らせば、Sが被告人に身代わりを頼むという心情も理解可能である。一方、被告人が、これまで比較的職を転々とし、本件当時勤めていた会社も三か月間位しか勤めていなかったこと、内妻がスナックを経営していることなどの当時の被告人の生活状況を考えると、自らも責任がないとは言えない事情によってSが陥った窮状を思いやって、被告人が身代わりを引き受けることも不自然とは言えない。逆に、仮に、被告人が真犯人であるならば、Sが、自ら処罰されることを十分認識した上、どのような動機から、被告人が起訴された後になって、自分が運転していた旨検察官に自首し、更に公判廷において偽証するのかを合理的に説明することは困難である。

被告人が、逮捕された後も一貫して事実を認め、起訴後の取調べに至っても自白していた点については、一度引き受けた以上、Sが本当のことを言い出すまでは、被るつもりでおり、弁護人が初めて接見にきた際、Sが自分で言うなら、本当のことを話すと言った旨の被告人の公判廷供述によって一応納得できるものと言える。また、被告人の内妻Kは、事件後一時間位経って、Sから電話があり、その時、誰が運転していたのか尋ねたところ、Sは一分か二分位黙っていて「利ちゃん(被告人の意)」と小声で答えた、その後三〇分位して被告人から電話があり、その時、運転していたのはSである旨聞いた、その後右の電話のやりとり等を警察官に話した旨証言している。一方で、被告人は、捜査官に対して一貫して自白をしていたにもかかわらず、起訴後も直ちに拘置所へ移監されることなく、さらに取り調べを受けて供述調書が作成されていることが認められるが、この事実は、Kの右供述を前提にすれば理解可能であるし、被告人が身代わりとなったことを、直ちに内妻に打ち明けていたものとすれば、それはそれで自然と言える。

一方、Sは、事故後、検察庁に出頭するまでの経緯につき、事故から二、三日後、姉に本当のことを話したところ、出頭を勧められたが、警察での取り調べでも、本当のことを言う度胸がなかった、二月二二日ころ、被告人の弁護人に、本当に運転していたなら、出頭した方がいいとアドバイスされたが、はっきり答えなかった、三月に入って被告人に面会した際、自首することを話すと、被告人は「早くしてくれ。」と言った、それから、被告人に二回面会した後、三月一九日に被告人の弁護人とともに検察庁に出頭し、検察官に自分が運転していたことを述べた旨供述している。被告人の内妻のKの証言によれば、二月の末に電話でSから本当のことをいう旨聞いたが、その後三月二日にK宅で被告人の弁護人とともにSに会った際、Sが弁護人に誰が運転していたかわからない旨答えていたこと、更に、Sの妻であるYの証言によれば、Sは事件当日、自宅に帰ってすぐに弟に電話して「友達が捕まったばかりだから、何とかならないか。議員さんを通して取り下げてもらえないか。」と本件事故を相談していること、同人の姉のOの証言によれば、Sは、姉のOとともに同人の知り合いの弁護士のところに行き、本件事故について相談したが、Sはどちらが運転していたかわからないと言っていたことがそれぞれ認められ、これらを総合すれば、Sが、本件事故につき、思い悩みながらも、本当のことを言う決心がつかず、一度はKや被告人にも自首する旨述べたものの、すぐには出頭せずになお迷った上、結局三月一九日に至って検察庁に出頭して自分が運転していたことを述べるに至ったと解することも可能である。さらに、身内であるSの妻や姉自身、Sの口から同人が真犯人である旨を聞いたまでを証言しないものの、Sの言動から、同人が運転していたのかも知れないと思う旨それぞれ証言している。この点もSの証言の信用性を強めている。

八 以上検討したとおり、被告人が本件当時、本件車両を運転していたとする積極証拠であるEの証言及び被告人の捜査段階の自白には、その信用性に疑問が存し、一方、Sが本件当時、本件車両を運転していた旨のSの証言及び被告人の公判廷供述には相応の合理性があり、これらを直ちに排斥することはできない。

結局、本件各公訴事実については、いずれも犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により、被告人に無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官中川武隆 裁判官松本利幸 裁判官村上博信は、差し支えのため署名押印することができない。裁判長裁判官中川武隆)

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